payasamhanakoの日記

インド映画とNetflixの感想。ICSIの備忘録。

Astu: So be it!(邦題:あるがままに)

「Astu: So be it!(邦題:あるがままに)」

《あらすじ》

アルツハイマー認知症を発症したサンスクリット学者と娘が一緒に買い物に行く。娘は5分だけと思い車に父を残し買い物に出るが、戻ると父がいなくなっていた。父は街中にいた象に惹かれ象使いの後をついてまわる。父の認知症進行に伴い、介護に奮闘する家族の様子を、娘の記憶を通して振り返る。

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東京外語大(TUFS)の「TUFS cinema2018 南アジア映画特集」で無料で観賞することができた。こういう会に参加するのは初めてで、普段どれくらいの客入りなのかは知らないけど、当日は500席がほぼ埋まっていた。

何度も参加している方々は「映画の題材が認知症の介護と身近な問題であるためか、人が入っていた。こんなに席が埋まってるのはみたことがない」と話していた。


映画の後には大東文化大学教授石田英明さんによる解説があった。特にインドの放浪部族の話とインドで理想とされる高齢期についての話が面白かった。介護と高齢者の人生について描かれている映画なのに、そこらへんの知識が全く無かったのでとても勉強になった。


映画をみていてガネーシャ信仰が盛んな地域だなと思ったら舞台はPuneだった。学者が付いていくのも象で、登場人物の家の中にはガネーシャの飾りがある。

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インドでは、象は神聖な生き物として扱われることもあれば見世物として扱われることもある。象使いは象を見世物として扱ったビジネスの1つ。


劇中で特に印象的だったのは、象使いの妻。妻の「(学者は)神になった」、「(学者の娘に対して)子どものようにちゃんとお世話をしてね」という台詞が印象に残った。

認知症患者が退行した様子を見て、子どものように無垢な存在に思うことはある。認知症患者をこういう風な描き方をする作品は少なくない。ただ、認知症患者に子どものように接するというのは現代の日本では不適切な扱いとされることが多い。度々倫理的にどうなのかと取り上げられる。退行していても年齢相応の対応を、尊厳を守りましょうというのが今の考え方。

この考えはよく理解できるけど個人的には、必ずしもこれが適切な対応とは思っていないので、象使いの妻の素直な言動が心に響いた。

また、「神になった」というのは象使いの妻が素直にそう感じて出た言葉で、学者の子どもの様な言動、無垢な笑顔、成人であるけど自律していない様子(失禁、徘徊、迷子)など外見と一致しないこと全てを含めて『言い表せないけど人間を超越している』という意味で発した一言だったんだろうなと思った。

 

日本で認知症を題材にした作品は、認知症進行に伴う困惑・疲弊・受容を本人や家族の視点から描いた『綺麗な』作品が多いように思う。これと比較すると、この映画ではあまり困惑や受容について描かれていない。おそらく学者の娘の夫が医者であり、経済的にも余裕があり、ある程度認知症を受け入れる土台を持った家族だったのが大きいのかなと思う。

映画の中で一番描かれていたのは娘の疲弊だった。学者と子どもと姉妹と学者の同僚と、色々な方面で振り回される。父の失踪は、自分の短絡的な行動が招いたものとわかっているからさらに葛藤する。そもそも、父を車に残して買い物に出たのも子どもの希望を叶えるためで、彼女としては他に方法がなかった。

介護者側の日常がリアルに描かれていて、綺麗な家族関係を描き、綺麗にまとめられているありがちな映画よりもグッときた。